人生は苦しい、向き合えば向き合うほどに

「閉塞感」「虚無感」「劣等感」

30歳を目前にして、毎日ネガティブな感情ばかりが自分の中に渦巻いている。いや、年齢は関係ない。ずっと前からそうだ。

息苦しい。何をしていても心から楽しめている気がしない。人と会えば一瞬だけ自我を失って解放されることはあるけど、また元通り。

「何が原因なんだろう」「どうすれば良いんだろう」「俺は何をすべきなんだろう」

なにか変えたい。行動をしたい。でも何をすれば良いのかわからない。そもそも自分は何を求めているのか?それすらもはっきりとしない。

コンパスを持たずに大海原に放り出されたような気分だ。嵐の中、オール一つで漕いで行く。どちらに進めば良いのだろうか?そしていつまでこの船は持つのだろうか。

手前味噌だが、昔から他人からの評判は良かった。「頭がいいね」「足が速いね」「なんでもできるね」。

でも、そんな言葉たちは何一つ心に響かなかった。というより、自分に投げかけられている言葉とは思えない感覚だった、というのが適切な表現かもしれない。実感がわかない。嬉しくない。

周りには自信があるように映っていたこともあっただろう。こんな自分でも、慕ってくれる人や頼りにしてくれる人はいた。

それでも自分は、自分だけは、自分が好きになれなかった。今もなお強く、その感情を持ち続けている。

おそらくこのような、うまく言語化しきれない気持ちを抱えている人は多いのだろう。誰も外に出さないだけで、本当は脆い部分が多いのだろう。

SNSには”見せられる面”しか見せず、対面すれば弱点を隠す。他人の弱点が見えないから、より一層自分だけが弱い人間なんだと感じる。

一種の近代病のような負のループ。頭では理解していても、心が追いつかない。

自分と向き合えば疲労感が襲ってくるし、気づけば結局同じ毎日の繰り返しになっている。そんな毎日にうんざりすることすらうんざりしている。

人生に目的なんてないことも分かっている。結局全員「死」という同じ結末に行き着く。その過程がどのようなものであっても、それが何なのだろうか。

俗に言う成功した人生、失敗した人生、いずれにせよ息絶えれば無に帰すわけであって。そこから自分の意識はなく、数十年・数百年の短いストーリーも終わってしまう。

だとしたら、もがくことに一体なんの意味があるのだろう。そもそも何かを頑張ることが正しいことだという通念も論理的ではない。

答えが出ない限り、おそらく今できることは、そういった事実をまず受け止めることなんだと思う。人生に対する無力感や虚無感を受け止める。そのうえで何を選択していくのか。

好きな言葉に「仕事は真剣になっても、深刻になってはいけない」というものがある。これは人生に対しても当てはまるような気がする。

人間は感情の生き物だから、倫理的な範囲でそれに素直に従うのが楽なようにも思う。感情を無視すると、精神的に壊れていく。これは経験として痛いほど理解している。

これからどうするべきなのかは、まだわからない。数年後、数カ月後、数週間後、明日、今日、そして今。逆算して行動を選ぶより、今を起点に選んでいきたい。

誰しも幸せになるために生きていると思うけど、幸せになるために生きようとしたら幸せになれない気がする。逆説的だが、29年歩んできたちっぽけな人生経験を通して、そう感じる。

何も考えず今の等身大の思考を、まとまりのない文章を綴ってきたけど、1ミリでも何かを感じてくれたら、なんだか救いになる気がする。

「自分と同じように弱い側面があるんだ」と共感をしてくれたら、それだけでも凄くありがたい気持ちになる。君も一緒に悩もう、一緒に歩き出そう。

辛くなったら、横を見たら同じ歩幅で歩いている自分がいることを、思い出してくれたら嬉しい。

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